ブリオッシュ・ド・サン=ジュニが誕生するまでの話
このお菓子の由来は3世紀までさかのぼり、聖女アガタ Agathe の伝説に関係しています。
聖女アガタの伝説
現在のイタリアに位置するシチリアにアガタ Agathe という美しい女性が住んでいました。
[ 引用:https://fr.wikipedia.org/wiki/Agathe_de_Catane ]
彼女はシチリアを支配していたローマ人の権力者から目を付けられていましたが、その意に従わなかったため、キリスト教徒ということを理由に彼女を捕まえてしまいます。
その拷問の中でアガタは両方の乳房を切り落とされてしまいました。
しかし、翌日にはその切り落とされた乳房が復活していました。
さらに、彼女は火あぶりにされることになりましたが、刑が執行されようとした瞬間に地震が起こり、死刑執行人が死んでしまい、彼女は刑をのがれました。
1551年にオスマン帝国がマルタ島に侵攻した際に、人々はアガタに祈りをささげました。
その祈りが通じマルタ島は守られ、アガタはマルタの守護聖人となりました。
切り落とされて復活した乳房から、アガタは鐘職人やパン屋の守護聖人とされています。
サヴォア家
当時、サン=ジュニ・シュル・ギュイエ Saint-Genix-sur-Guiers 周辺を統治していたサヴォワ家 Maison de Savoie でした。
そのサヴォア家が、1713年にスペイン継承戦争によりシチリア王国の王位を獲得しました。
サン=ジュニ・シュル・ギュイエに住む女性たちはこれを記念して、2月5日の聖女アガタの記念日に乳房の形をしたお菓子をつくることにしました。
サヴォアの旗の色である赤と白をつかい、乳房のような丸い形をイメージして作りました。
この当時はパン生地に砂糖や蜂蜜を加えたものをお菓子としていました。赤く染めたプラリネで赤色を、砂糖で白色を表現していました。
進化
それから時は流れて、1860年ごろ、サン=ジュニ・シュル・ギュイエ Saint-Genix-sur-Guiers にあるパティスリーに、ピエール・ラブリィ Pierre Labully というシェフがいました。
彼は、1848年にこの町の近くのイゼール Isère 県のレザブレ Les Abrets という町出身のフランソワーズ・グィル Françoise Guilloud と結婚しました。
フランソワーズは生まれ育った町で有名なブリオッシュのレシピを夫に教えました。それはオレンジ色の花で香りを付け、表面をプラリネで飾ったブリオッシュでした。
彼女の生まれたイゼール Isère 県ではプラリネの入ったブリオッシュが伝統的に作られていました。子どもの頃から食べていたお菓子を紹介したんですね。
それをパティスリーに並べたところ、町の住民はふわふわの食感のパンをたいへん気に入りました。
さらに、住民たちはブリオッシュにもっとたくさんのプラリネを加えることを提案しました。
その提案をもとにラブリィはプラリネをたっぷりと詰めたブリオッシュをつくりました。
今でもこのブリオッシュ・ド・サン=ジュニはずっしりとした重さを感じるほどプラリネが入ったブリオッシュです。
ちなみに、このブリオッシュの起源になったパティスリーは現在でもサン=ジュニ・シュル・ギュイエの教会広場に残っています。
パティスリー・ラブリィ PÂTISSERIE LABULLY の場所