Crème Chantilly シャンティイってどんなお菓子?
生クリームと砂糖を泡立てたホイップクリームのこと。パリの北にあるシャンティイ城で誕生したため、この名前が付けられました。
「シャンティイ」と呼んだり、一般的にはクレーム・フォユテ Crème fouettée といいます。
タルトやアイスクリーム、マロンクリームなどにクレーム・シャンティイを添えて提供されることがあります。または、ムースやババロワなどのクリームの材料として用いられます。
フランスではクレーム・シャンティイとは脂肪分30%以上含まれているクリームをもちいます。加える砂糖の量はクリームの重さの10%が目安です。
フランスでは生クリームのことをクレーム Crème といいます。30%以下の脂肪分だとクリームが泡立ちません。
また、フランスには生クリームを生地に塗ってつくるケーキはほぼありません。日本のように生地を生クリームで組み立てるのは、アルザス地方のフォレノワールのみです。
シャンティイ城の悲劇
パリから北へ約40kmほどのところにあるシャンティイ城で、クレーム・シャンティイは誕生しました。城はオー=ド=フランス地域圏 Hauts-de-France に位置するシャンティイという町にあります。
17世紀頃、貴族の大コンデ公がこの城を所有しており、仕えていた料理人がクレーム・シャンティイを考案したと言われています。
このクレーム・シャンティイを有名にしたのは、ある悲劇と関係しているかもしれません。
この頃、シャンティイ城でメトル・ドテルとしてヴァテールが仕えていました。
メトル・ドテルとは貴族の城や館で、食材やパン、ワインの仕入れや料理人の選出をおこない、テーブルサービスの指揮などを行う宴会のプロデューサーのような役割を担う職業です。
ヴァテール François Vatel はスイス出身で、政治家フーケ家の執事を経て、大コンデ公のメトル・ドテルとなりました。
1671年、大コンデ公がルイ14世を招いて1000人を招待した盛大な宴会を行いました。その宴会をメトル・ドテルとして任されたのがヴァテールでした。
当日の早朝4時、ヴァテールは注文していた魚の到着を待っていました。魚はまだ2箱しか届いておらず、数が足りません。彼は8時まで待ちましたが、まだ魚は来ていません。
ヴァテールは「魚がないと宴会が失敗する。このままでは名誉と評判を落としてしまう。命を持って償うしかない」と考え、剣で腹を刺し、自殺をしました。
しかし、この後すぐに魚は到着したそうです。
宴会は開催されましたが、招待客は悲しみと衝撃の中、この魚料理には手を付けなかったと言われています。
この悲劇的な出来事もあり、シャンティイ城で生まれたクレーム・シャンティイが有名になっていったのではないでしょうか。
なぜなら、その100年ほど前の1533年、イタリアからカトリーヌ・ド・メディシスがフランス王アンリ2世に嫁いだときに、一緒に来た菓子職人がすでに泡立てた生クリームを作っていたともいわれています。
当時はエニシダの枝でクリームを泡立てていました。
現在では、シャンティイ城ではクレーム・シャンティイが名物となっています。
Crème Chantilly シャンティイの情報
名前 | シャンティイ | ||
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フランス語 | Crème Chantilly | ||
読みかた | シャンティイ | ||
分類 | デザート dessert | ||
クリーム | クレーム・シャンティイ Crème Chantilly | ||
材料 |
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購入先 | レストラン Restaurant | ||
名産地 | シャンティイ Chantilly |