フランスの中世時代の13世紀後半頃に好まれていたお菓子があります。お菓子というと甘いものを指しますが、当時は甘いとは限らず、小麦粉などの粉で作ったものを指しています。
小麦粉をベースにして、卵や牛乳、はちみつなどをくわえることもありました。生地の材料は同じだけれど、火の通しかたに違いがあり、窯で焼いたり、茹でたり、油で揚げたりと様々な方法がありました。これは今のお菓子にも通じることです。
また、中には現在も残っているお菓子の原型となったものもあります。
エショデ Échaudé
小麦粉と塩などで作った生地を小さく切り、茹でてから焼いたかたいお菓子。
中世時代に好まれたお菓子ですが、18世紀にも再び大流行しました。ルイ15世の公妾ポンパドール夫人がひいきにしていたパリの菓子職人ファヴァール Favart が考案して人気が出ました。
小麦粉と卵、油分とイーストをくわえた生地に塩をくわえてよくこね、布につつんで翌日まで寝かせます。小さめに切った生地を丸めて平たくしたら、熱湯寸前の湯に入れてゆで、さらに弱火のオーブンで乾燥するまで焼きます。小麦粉500gに対して塩を60gもくわえていたので、かなり塩っぱいお菓子でした。
エショデとは「熱湯に通す」という意味の échauder から来た言葉。生地を茹でることからこの名が付けられました。
フワス Fouace
ブリオッシュ生地でつくったお菓子。南フランスで見られるフーガス Fougasse の原型になったものです。
中世時代のフワスは、医師であり作家のフランソワ・ラブレー François Rabelais もフワスの作りかたを書き残しています。彼のレシピによると小麦粉に卵黄やバターや水を混ぜ、サフランや香辛料をくわえてこねて作ったとされています。かつては炉の熱い灰に生地を埋めて焼いていました。
南フランスのフーガスはブリオッシュ生地にオリーブオイルをくわえ、平たく伸ばして焼いたパンです。南フランスではバターがオリーブオイルに指し変わっていますが、ほぼ同じものということが分かります。
もともとフワスは西フランスでクリスマスや公現祭に食べられていましたが、今では南フランスで見られます。
ウーブリ Oublie
古代ギリシア時代からある薄焼きのお菓子。薄い生地を円筒形または円錐形にして売られていました。
ウーブリはギリシア語で「非常に安いお菓子」を意味する obolies/obolias が元になっています。または、ラテン語で「聖体拝領用のパン」を意味する oblata に由来するともいわれています。
1270年にはウーブリの同業組合ができ、加入するためには5年間の修行と10リーブルの加盟料、さらには1日に1000枚のウーブリを焼く技術が必要でした。
ウーブリを作って売る職人のことをウーブロイウール Oubloyeur, オーブロワイエ Oubloyer, ウブリユー Oublieux と呼ばれていました。1292年の文献にはパリに29軒のウーブリ屋がいたとされています。
リヨンを中心にパリなどでもウーブリを売る職人がおり、第一次世界大戦まで売っていました。
またウーブリ職人が「さあお楽しみの時間だよー!」と叫びながら売歩いていたため、楽しみ = Plaisir プレジールとも呼ばれていました。
ゴーフル Gaufle
ワッフルのことで、熱した型に生地を流し、火にかけて焼くお菓子。今でも食べているワッフルは中世時代に作られ、今でもほぼ同じ焼き方で売られています。
13世紀、ある菓子職人が薄焼きのお菓子ウーブリを焼くために、蜜蜂の巣のような形のくぼみをつけた型を考えだしました。その型をゴーフル型といい、その型で焼いたものをゴーフルと呼ぶようになりました。つまり、ゴーフルはウーブリが原型で焼き型を変えただけです。
ゴーフル型はゴフリエ Gaufrier といいます。
中世には教会近くの路上で売っていました。現在でもお祭りやマルシェなどさまざまな催しがあるところで屋台として販売しています。屋台菓子として定番のお菓子のひとつです。
中世時代やルネサンス期に、農民は小麦粉に水で溶き塩を加えて作ったものを食べており、現在のように卵や砂糖を混ぜていたのは一部の富裕階級だけです。
フランス南西部ののガスコーニュ地方では鉄板で焼くことからガトー・オ・フェール Gâteau aux fers(鉄のお菓子)と呼んでいました。
ダリオル Dariole
中世時代版のエッグタルトのこと。型に生地を敷き、卵と牛乳でつくったクリームを入れて窯で焼いたパイ菓子のこと。
卵と牛乳でつくったクリームとは今でいうカスタードクリーム(クレーム・パティシエール)です。フラン Flan やピュイ・ダムール Puits d’amour などの元祖ともいわれています。
カスタードクリームはフランス菓子の基本であり、卵・牛乳・砂糖で作られています。このクリームを生地に入れて焼くというのはお菓子の元祖と言われるもので、ポルトガルなど世界中にある伝統菓子です。
中世時代にはダリオルール Darioleur という売り子が町中で売り歩いており、19世紀半ばまでにパリには多くのダリオル屋がありました。
シャンパーニュ地方のランスでは今日でも復活祭とサン・レミ祭の祈りに食べているお菓子です。
ベニエ Beignet
揚げ菓子のこと。
卵をくわえた生地を揚げてたもので、中世時代に甘味は蜂蜜を用いていました。さらに、肉や魚、野菜などに揚げ衣をつけて揚げていました。
中世時代にはベニエ売りが町中を売り歩いていました。現在では、ベニエはパティスリーやパン屋などで販売されていますが、海岸のビーチで売り歩いている売り子もいます。
ニュール Nieule
かたく練った小麦粉の生地をゆで、ぶどうの枝の灰でつつんで、かまどで焼いたお菓子。
中世時代に、ニュルール Nieuleur というプロテスタントの職人が作り、売り子によって町中で売られていました。
1598年のナントの勅令により、プロテスタントはカトリック教徒と同様の権利を与えられ、自分たちの教会をもつことはできるようになりました。しかし、カトリック教会にも十分の一税を払わないといけなくなり、プロテスタントはドイツに亡命してしまい、ニュールはフランスではすたれてしまいました。
その亡命したプロテスタントの職人はニュールをドイツでも作り続けました。その後、ドイツからアルザス地方に同じお菓子が逆輸入してきました。これがブレッツェル Bretzel です。
ガストリエ Gastelier
中世時代の一般的なお菓子屋のことをガストリエと呼んでいました。
また、中世ではスパイスのきいたパンデピス Pain d’épice、タルト Tarte、トゥルト Tourte も食べられていました。