クグロフは元々オーストリアやポーランドで古くからあったお菓子でした。
中世末からドイツ周辺のルクセンブルク、スイス、オーストリア、ポーランドなど、フランスではアルザス、ロレーヌ、フランドル地方で作られていました。クグロフは村の結婚式や洗礼式といったハレの日に食べていました。
現在のクグロフはパンを作るイースト菌を加えて膨らましていますが、18世紀まではビール酵母をつかっていました。
クグロフの呼びかた
クグロフは多くの国に広がったので、呼びかたもさまざまあります。
- Kouglof:クグロフ
- Gugelhupfh:グーゲルフップフ
- Kugelhoff:クーゲルホフ
- Kugelhopf:クーゲルホップフ
フランス語圏では
- Kouglof:クグロフ
- Kougloff:クグロフ
フランス語には元々Kから始まる単語はないため、このお菓子が東ヨーロッパから伝わったお菓子ということが分かります。
ドイツ語圏では
- Napfkuchen:ナップフクーヘン
- Rodonkuchen:ロドンクーへン
ドイツ語でkuchen(クーヘン)とは焼き菓子のことを意味しています。
クグロフの名前の由来
フランス語の名前の由来は諸説あり、いまだに確かなものはありません。
アルザス語に由来
アルザス地方では、クグロフをクーグルポブフ Kugelhopf といいます。
それはドイツ語で「球」を意味する kugel と「ホップ」の hopfen を合わせたアルザス語に由来している説があります。
帽子に由来している説
ドイツ語でクグロフは Gugelhuph といいます。
14世紀、アルザス地方で流行したグーゲルフエッテ Gugelhuete という帽子にクグロフの形が似ているということから名付けられたという説があります。
その帽子はストラスブールの議員がかぶっていた、または僧侶の頭巾だったともいわれています。
クーゲルさんに由来している説
たいへん有名なお菓子クグロフですので、歴史的な大きな出来事を結びつけてクグロフの起源にしている話もあります。
現在のストラスブールから南へ75kmのところにある小さなリボヴィレ村 Ribeauvillé にクーゲルというおじいさんが住んでいました。
ある夜、3人の旅人に泊めてほしいと頼まれ、クーゲルは彼らを泊めてもてなしました。じつは、3人の旅人は誕生したキリストに会いにいく東方の三博士という人たちでした。
彼らは宿をかしてくれたお礼に、お菓子を焼いてくれました。そのお菓子は山の形をしていて、山に積もった雪に見立てた砂糖を振りかけていました。そのお菓子の形はアルザス地方にあるオーネック山 Hohneck に見立てたものでした。
泊めてくれたクーゲルさんの名前をとって、そのお菓子につけたという説です。
これは紀元0年の話ですし、伝説レベルの話だと思います。お菓子が有名になってくるとこの手の伝説が出てくることは珍しくありません。
しかし、クグロフはこのくらい昔から食べられていたパンでした。
フランスでの広がり
オーストリアのハスプブルグ家のマリー・アントワネットは大好きで、小さい頃から親しんでいたのがクグロフでした。
彼女がルイ16世に嫁いできたことがきっかけとなり、フランス宮廷にクグロフが広まりました。小さい頃からの懐かしいお菓子が忘られなかったのでしょう。
彼女の有名なセリフ「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」というのがありますが、この「お菓子」はクグロフを指しています。彼女にとってはクグロフは日常的に食べているパンでしたが、庶民は小麦粉と塩でつくるパンでさえ食べれなかったため、そのセリフに大反発しました。
その後、アントナン・カレームによりさらに普及していきました。彼はクグロフのレシピを駐仏オーストリア大使シュヴァルツェンベルク大公の料理長であるウジェーヌから教えてもらいました。
現在と同じクグロフの記録が残っているのは19世紀半ばごろです・
1840年のピエール・ラカンの『菓子製造業の覚書』には、パリにコック通りのパティスリーのジョルジュという菓子職人がストラスブールからレシピをもとに製造していました。パリでも流行し、毎日100個も売れていました。
たっぷりのバターとマラガ産のレーズンを加え、鐘形の陶器の型をつかって焼きました。型の内側にはバターを塗って、スライスアーモンドをはりつけ、焼き上がったら粉糖を振りかけていました。
このクグロフの作りかたは今のものとまったく同じです。